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Vol.4
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次の転機はいつですか?
大学生の時です。それまで水泳は小・中・高と続け、高校時代には大阪府の大会で、100m平泳ぎ、300人中12位までなりましたが、大学時代は「ボート部」に転向しました。ボートは初めてでしたが、この大学にはボート推薦で入学している人もいて、ボートのエキスパートともいえる人たちがごろごろいました。
憧れの目標とする存在ですね。
いや、憧れを超えて、雲の上のような存在でした。
それが、どの様に転機になったのですか?
ある日の練習中、そのスーパースターの先輩がふと言ったんです。「小森、練習しんどいな。辛いな。サボりたいな・・・」って。こんな優秀な人でも、自分と同じようにしんどいって思うんだ、と知りハッとしました。スーパースターとはいえ、この人も同じ人間なんだなって。同じ人間なら、努力すれば、私でもなれるかもしれないって思ったんです。
それまで自身が思い込んでいた「限界」という枠が、取り払われた瞬間ですね。その次の転機は、冒頭でも少しお話ししましたが、ボブ・ヘイドン氏との出会いですね。
3年間の「根性営業」の後、若くて元気があって、それなりの数字を出していたこともあって、社内トレーナーに任命されたんです。そこで、当時のP&Gアジアパシフィックのトップ・トレーナーのボブ・ヘイドン氏に出会いました。 いくら数字が上がっていたとはいえ、それまで、がむしゃら営業をやってきて、一時は体調まで崩していたので、自身の営業スタイルについて少し悩み始めていたんですね。しかし、彼との出会いにより、「営業ってこうなんだ」、「商談ってこうなんだ」、という答えが見えたような気がしました。彼は、「まずお客さんとの信頼関係を築きなさい」、そして「お客さんの話をよく聞きなさい」、というコミュニケーションのエッセンスを教えてくれました。私が求めていたものはまさに、これだと思いました。
そして社内トレーナーとして3年間、全国を飛び回り、その後、営業に戻られたんですね。
営業に戻ってからは、その教えを自身だけでなくチーム全体にも忠実に実行させました。すると、がむしゃら営業でなくても面白いように数字が上がり、私のチームの営業成績はトップになりました。私自身も、アジアパシフィック最優秀マネージャー等、数々の表彰を受けるまでになり、ボブ・ヘイドン氏との出会いには本当に感謝しています。
彼との出会いがきっかけで、次第に研修トレーナーに関心を抱くようになり、その後、日本ロレアル、COACHジャパンを経て、2008年に独立されるんですね。
特にCOACHジャパン時代に、神戸学院大学の客員教授に就任し、教壇に立つ機会があり、面接試験などについても幅広く学生たちにアドバイスしているうちに、「僕の人生は変わりました。」と言って、目を輝かせて話しかけて来るたくさんの若者に出会ったのがきっかけで、その瞬間、「私の天職はこれだ」、「今後は、研修トレーナーとして生きて行こう」と決断し、今日に至るわけです。
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